血縁的な親は子を召喚した。親は子に対して無限の負債を負う。逆に親以外は、無限の負債を負わない。
血縁的な親は子に何を求めるのか。なぜ求めるのか。なぜ求める権利があるのか。
何を求めるのか。理想の投射である。まるで自分の腕の延長かのように、手に持ったボールペンかのように、あるいは昨日の夜作ったカレーかのように、理想を投射する。理想を期待し、実際と比較し、勝手に幻滅し、文句を言う。
なぜ求めるのか。なぜ理想の投射を求めるのか。自らと世界を永遠に繋ぐためである。親は自らが永遠でないことを認めている。自らが理想それ自体でないことを認めている。そうなれないことを知っている。しかし自らの血縁は子どもとして形を変えることで理想になると勘違いしている。
なぜ求める権利があるのか。ない。あるかのように主張するのはどのようにしてか。それは所属の固定観念による。すなわち親は、自らの血縁で後から生じた子どもを、先に生じた自らの所有物である、という観念を持っているのである。
実際にはそうではない。むしろ無限の負債の発生である。親の負債それ自体が子どもなのではない。ここでいう親の負債とは、子どもに対して親が負う負債である。
何の負債か。召喚に対する負債である。それに対する返済とは子どもの送還を意味する。これは死を意味しない。生死は一方的であり、召喚により子どもが現世に誕生したとして、亡くしたところで送還は達成されない。それは単に滅亡であり消滅である。
ではどこに送還する必要があるのか。あるいはどこから召喚されたのか。
無からではない。親から誕生したのである。親によって親から召喚されたのである。これまでの主張と合わせると、親に送還する必要がある。
もちろん誕生した時点から送還は不可能である。たとえ物理的に切り刻んだとしても。子どもにはもう還るところがないのである(だから親は子どもの帰る場所になる)。
黒魔術で想像するような魔界からの悪魔の召喚、魔界への送還というわけにはいかない。その魔法陣、門は召喚した瞬間に塞がれた。召喚とは一方向である。
さて送還できないと悟った親はどうするか。どうしなければならないのか。
親はその重圧に耐え切れず、責任転嫁する。理想の投射にならない子どもに対して、かつ送還できない事実に対して、親は絶望する。自らの負債を建前を以て押し付けようとする。親の親か、あるいは子どもか。少なくともその負債が子どもに対するものである以上、子どもに転嫁しようとすることは甚だしい詭弁である。
ではどうしなければならないのか。
逆に最も反することを挙げてみよう。子どもの滅亡である。それは送還を不可能にするからだ。また子どもが親によって滅亡したならば、亡霊の送還という形で親はその負債を負い続ける。であるならば、親は子どもの滅亡を回避しなければならない。その可能性が最も低くなる選択肢を取り続けなければならない。それが育てることであり、見守ることであり、ひとり立ちを受け入れることである。
滅亡する可能性が高い幼児を慎重に育て、滅亡する可能性を低くするための成長過程を見守り、滅亡する可能性がより低いひとり立ちを受け入れるのである。巣立ちを受け入れるのは、生存能力が低いまま親の保護圏内にいることとひとり立ちさせてややリスクを負いながらも生存能力を高めることのいずれが滅亡の可能性が低いかを鑑みた結果である。これらのいわゆる親の責任とは、無限の負債に対する前提を担保するための義務である。
最終的には、親はその滅亡を以て無限の負債を打ち切る。ただし送還していないから、これは返済ではない。もし親が亡霊になるならば、それは負債を負い続ける。
その一方で、子どもは返ってこなかった債権を次の世代に求める(実際には次の世代に対する債権ではないため、その欲求は理想の投射に含まれる)。
そして召喚あるいは無限の負債は連鎖する。