明日は余暇ボーイ

SAPを使う方々に役立つ情報を届けたい

記憶を忘れる

一方的に語りかけてくる亡霊

嫌な記憶は、あなたの意思にかかわらず、ふとした時に、あるいは最も嫌悪するときに、あなたに語りかけてきます。

それを 亡霊 と同じ類として言葉付けることにします。

亡霊としての記憶は、いわゆるトラウマ(traûma)であったり、あるいはトラウマほどあなたを拘束するものでないにせよ、不快感を突きつけてきます。何度でも。

本記事では「あの記憶を忘れたい」という欲動を起点として、それが可能なのか、亡霊とどのように向き合うか、実践理論を試作します。

なお、ここでいう亡霊は、メイヤスー的な死者の亡霊だけを意味する言葉ではなく、あなたに語りかけてくる嫌な記憶の集合体全般のことを指しています。哲学素としての用語とは密接には結びついていません。

 

嫌な記憶だけを対象とする部分認知症は可能か

一般的な認知症とは端的に言えば短期記憶障害です。海馬などの脳の萎縮や血管の圧迫が原因です。ここでは概念として認知症を端的に記憶を忘れる症状として扱います。

いわゆる認知症を特定の記憶だけを対象として発生させることはできるのでしょうか。つまり、嫌な記憶だけ認知から排除することはできるのでしょうか。

できないでしょう。少なくとも、現代倫理の観点から、臨床実験による脳科学の進歩は見込むべきではないでしょう。

 

もう少し理性実践的(哲学的)に抽象化して考えてみましょう。

記憶は、それを思い出すときには<<他者>>として思考に入り込みます。

あなたの思考は亡霊を自己に対する絶対的なコードとして扱います。亡霊はあなたの意識に否応なく入り込みますが、あなたの思考は亡霊を滅する直接的な手段を持ちません。

 

ときに亡霊はトラウマとして自己の心身を傷つけます。ふとした日常の隙間に現れ、足をすくませます。あるいは亡霊は過去の事象の顕現ではなく、むしろ「○○しなかった」ことの後悔として発生します。

 

亡霊を許容範囲まで弱体化させるために

亡霊は思考に入り込み、高い地位を以てあなたを抑え込みます。

亡霊の動機はなんでしょうか。怨念を晴らすことです。たちが悪いのは、亡霊の怨念を晴らすのが法外行為であるか、あるいは不可能であることが多いのです。

例えば誰かの命を奪うか、あるいはそれ以上に痛めつける、同じ苦痛にあわせたいとか。例えば過去に戻ってあれをやっておけばよかったとか。

 

ではどうすれば亡霊を祓えるのでしょうか。

端的に考えられるのは、過去の事象が発生した周辺の記憶を忘れることです。亡霊は記憶から生成されます。その根源となる記憶にアクセスできないように自己を統制するか、あるいは物理的に記憶を消滅させることで、亡霊は消えるように思われます。

一方で、現代科学的アプローチとして特定の記憶を封じたり消したりすることはできません。

 

そこで以下では亡霊を抹消できないまでも、日常生活に支障をきたさない程度にまで弱体化させる方法を、意識が亡霊にとらわれないようにする方法を考えます。

 

  • 亡霊は過去の産物だと理解する

鮮明な映像想起(フラッシュバック)のような強いトラウマは、そもそも亡霊以上のものといえるでしょう。言い換えれば、過去の事象の記憶から生成された亡霊が、”今”という事実性に強く干渉している状態です。これは人間を含む生身の生き物が起こす傷害に近い。

以下で述べる対処を取る前に、あなたは亡霊を過去方向に閉じ込める必要がある。つまり、過去の事象を”今”という事実性から切り離す必要があります。

 

具体的には、”今”という事実性に過去の事象は間接的にしか関与しないことを認知するべきです。今ある世界に過去の事象は含まれません。なぜなら今ある世界それ自体は今ある事象だけで構成されるからです。

亡霊は完結しています。もし完結していない亡霊(?)、つまり今まさに現れているものがあなたを傷つけるならば、それは亡霊ではありません。例えば生身の人間同士の問題であり、例えば("しなかった"問題についていえば)時系列的に今後あなたが経験することができる問題であり、今後あなたたちが解決する必要がある問題です。それは家族や、周囲の森の動物や、警察などとの関係によって解決されるべき問題です。

 

改めて亡霊についていえば、亡霊は完結しています。一方で、トラウマは記憶という枠組みを超えて心身に強く干渉しうるでしょう。それも一種の亡霊とみなせますが、第一に過去の事象を”今”という事実性から切り離すべきです。

記憶を過去の事象の集積であると理解することで、あなたはようやく亡霊を過去の産物に落とし込めます。

 

それでも逆説的に、亡霊は”今”を生きるあなたたちに過去の産物として語りかけてくるでしょう。

 

  • 亡霊との遭遇を避ける

どのような対処が考えられるか。まずは亡霊が語りかけてくる機会を減らすことを考えてみます。

記憶は、主に2種類のアクセス方法があります。一つは思い出そうとして思い出す記憶。もう一つは何か(物理的な、あるいは別の記憶)によって誘発されて思い出される記憶。

前者には日常生活に害をもたらすほどの亡霊はいません。亡霊は主に後者に潜伏しています。つまり、嫌な記憶は往々にして誘発される記憶です。

 

よって、亡霊を弱体化させるためには亡霊が誘発される機会を減らすことが有効です。

具体的には2つあります。

  1. そもそもの誘発元の何か(物理的な、あるいは別の記憶)との接触を避ける。
  2. 誘発先の記憶を上書きする(トラウマに対する臨床的アプローチ)

まず1では、そもそもの誘発元の記憶を思い出さないようにします。例えば特定の場所に行く、特定の物を見る、人混み、ビル、学校、食べ物、など。これらの誘発元から距離を置くことで、亡霊との遭遇は減少します。

 

一方で、1を実践することは現実的には難しい場面があります。その場合は、2の対応を取る必要があります。亡霊が位置する誘発先について、誘発先を上書きします。実際には完全に上書きすることはできないため、誘発先の優先順位を更新し、心地よい記憶などを優先的に誘発するようにします。

 

例として重い事象を扱いたくはありませんので、寓話的に、3歳のころに10匹のカラスに突かれたことからカラスが嫌いになったこと、を例とします。

これが亡霊以上であるとき、当事者は外出できない状態です。前段の「亡霊は過去の産物だと理解する」という対処は、突かれたのは3歳のころであり、今はそうではない、ということを理解することに当たります。実際のトラウマに対しては、この理解に相当の時間がかかります。が、理解できたのであれば、外出できるようになるでしょう。

では、次に上記の1.2.に当たる対処を考えます。

誘発元の何かとの接触を避けるためには、カラスという存在を認知しないように生活することを指します。これができれば記憶は想起されず、亡霊とは遭遇しません。一方で、日常生活でカラスを見たり鳴き声を聞いたりしないことは難しいです。

よって、誘発先の記憶を上書きする(トラウマに対する臨床的アプローチ)ことを試みます。具体的には、カラスを見て数か月は不快感が生じるでしょう。一方で意識的/無意識的にカラスを見ても痛くない、突かれることがないと学習することで、カラスを見ることの誘発先の記憶を「3歳のころ突かれた」から「何も起こらない」に更新することができます。同様に、カラスの鳴き声を聞くことの誘発先の記憶も更新していきます。

これによって、日常生活に支障をきたさない程度には、亡霊との遭遇を減らすことができます。

感覚的な5感分類でいえば視覚/聴覚/嗅覚/味覚/触覚 によって、あるいは記憶-記憶の連鎖によって、亡霊と遭遇することになります。これに対して、亡霊が誘発される機会を減らすことで、亡霊との遭遇を避けることができます。

 

一方で、亡霊との遭遇を避けることは亡霊を滅することを意味しません。亡霊は常にしこりのようなものとして残り続け、亡霊との遭遇を完全になくすことはできないでしょう。

 

  • 亡霊の輪郭を滲ませる

亡霊との遭遇を減らした後で、あるいは遭遇を減らせないならば、どのような対処が考えられるか。次に特定の亡霊を特定の亡霊たらしめる輪郭を壊していきます。

このためには、記憶に対する理解の転換が必要です。

 

記憶は過去の事象の集積のように見えますが、過去の事象そのものではありません。

記憶は、過去の事象を加工した積分的産物です。亡霊には当たりませんが例えば1日前にコンビニやドラッグストアで買い物をした記憶を思い出します。商品をかごにいれ、レジに行き、お金を払って買い、自宅に戻ります。一連の流れがその時の時間を凝縮して数秒で思い出されます。なおかつ、その時の匂いや触覚、味覚などはその一連の流れに含まれていない。つまり記憶とは、過去の事象を雑にインテグレートした加工品です。記憶は完全な過去の事象には足りえません。

他方で、亡霊の多くは主に視覚を中心とした感覚的な追体験できる記憶です。ただし”○○しなかった”亡霊は言語的・文章的な記憶に当たるので後ほど説明します。

 

記憶に対する理解の転換とは、まずは記憶が完全体ではないこと、絶対的な事実として受け入れるには信ぴょう性が低いことを理解します。そのうえで、あわよくば書き換え可能であることを自己に理解させます。

余談ですが、科学的アプローチとしての記憶などが高い確率での再現性を確立しうるため、記憶としてではなく記録として信頼性を担保します。よって、単発発生的でありながら何度もドアを叩いてくる亡霊とは考え方が全く異なります。

 

では、記憶が完全体でないことを理解したうえで、亡霊の輪郭を不明瞭にすることを試みます。つまり、あなたの脳が亡霊を正確に捉えられないようにします。

具体的には、あなた自身がわからない程度に少しずつ、記憶を壊していきます。例えば先ほどの例を持ち出して恐縮ですが、3歳のころに10匹のカラスに突かれた、という記憶に対して、10匹ではなく9匹であった可能性を刷り込みます。また、発生した場所がどこであったか、どのような顔をしていたのかなど、徐々に曖昧にしていきます。

記憶を壊すということは、過去の事象としての信ぴょう性をなくすということであり、その事象が全く発生しなかったことにはなりません。ですが、亡霊の輪郭を滲ませることで、あなたの脳はその亡霊を取るに足らない記憶に包含していきます。つまり、しこりを小さくし、亡霊を弱体化させます。

実際にこの方法を実践する場合は、追体験的に亡霊と対峙せざるを得ないため、環境を整えたうえで、数か月などある程度長い時間をかけて実践する必要があります。

 

亡霊との遭遇を避け、亡霊の輪郭を滲ませることができた時点で、あなたは亡霊にとらわれずに生活できるくらいまで、亡霊を弱体化できているかもしれません。

一方で、”○○しなかった”ことへの後悔などから発生する、言語的・文章的な亡霊は輪郭が見えずらいです。特に”してこなかった”などの亡霊は過去の事象が発生していないため、映像記憶には残りません。文章的な亡霊の根幹は映像記憶などとは異なり、主に価値観の変容が必要になります。

 

  • 亡霊の権威を下げる

亡霊の権威を下げる対処は文章的な亡霊に有効です。

 

<<他者>>としてのあなたの思考における亡霊の権威、権限は何によって保障される(されてしまう)のでしょうか。

価値観によってです。

正確にいえば視覚を誘発の中心とした亡霊には、本能的な価値観もその権威の保障に含まれます。が、ここでは主に文章的な亡霊の対処に焦点を当てます。このとき、亡霊の権威を形成する価値観は、社会的価値観に他なりません。実際には、社会的価値観が反映されたあなたの内部の価値観になります。

どこで社会的価値観が侵入しているのか。常にです。幼少期から青年期の文化教育を主軸に、職場や休日の人間関係、閲覧するインターネットによって、社会的価値観が刷り込まれます。

 

では、あなたの中で暴挙を振るう亡霊の権威を下げるにはどうすればよいのでしょうか。まずはあなた自身に浸透してしまった価値観を見直し、亡霊を形成している文化体系を摘発する必要があります。そして、自身の価値観を改めることで亡霊の権威を下げます。

この方法の課題は、人間の集団としての社会で生活し続ける限り、常に社会的価値観に触れることになり、否応なくあなたに侵入してくるということです。そして何より、「 亡霊にとりつかれていない無責任な者たちによって亡霊の権威は保持されている 」のです。

わかりやすい例でいえば、”若いころ勉強してこなかった”という亡霊は、それをさして悔やんでいない人間たちによって”若いころ勉強すべきだ”という社会的価値観が肯定されるために、それを悔やんでいる人間の中に亡霊が付きまとうのです。”若いころ遊んでこなかった”という亡霊は、それをさして悔やんでいない人間たちによって”若いころ遊ぶべきだ”という社会的価値観が肯定されるために、それを悔やんでいる人間の中に亡霊が付きまとうのです。

 

あなたは、亡霊の権威を作り上げる人間から逃れる必要があります。簡単に人間関係を改めることができれば対処できますが、現実的には今の環境を変えるということは難しいです。

暫定的な対処でいえば、自分の思想は危険にならないレベルで自分の中で形成することでしょう。より実践的な表現でいえば、価値観を押し付けてくる人の言葉に耳を貸さない。常に社会価値観を鼻で笑う心意気を持てばよい。逃走線を引けばよい。モチーフとしては以下の記事と方向性は同じです。

消費から逃げる - 明日は余暇ボーイ

暫定的な対処にせよ、許容できる範囲にまで亡霊の権威を下げることができれば、亡霊にとらわれずに生きることができるでしょう。

 

ただし、価値観の形成をあなたの内部で確立するように移行するということは、あなたの内部の価値基準と社会価値観をずらすことを意味します。これによって、あなたの存在意義を社会的価値観という<<他者>>に委ねることができなくなります。つまり存在意義をあなた自身で見出すことになり、自分が”いる”ことの担保は自分で行わなければならないのです。あくまでそれはいることの担保であり、そもそも”いてよいこと””いるべきこと”の担保など一切必要はないということは誤解のないよう。

 

事実性の偶然性、逃げることと存在すること

亡霊は弱体化しますが、それでも完全に消滅することは難しいでしょう。許容範囲まで弱体化させた亡霊、あるいは亡霊というには弱すぎる過去の嫌な記憶について、どのように付き合っていけばよいでしょうか。

端的にいえば、小さなしこりとして受け入れるほかありません。が、加えて”蓋”として覚えておきたい考え方があります。

事実性は、あらゆる事物そして世界全体が理由なしであり、かつ、この資格において実際に何の理由もなく他のあり方に変化しうるという、あらゆる事物そして世界全体の実在的な特性として理解されなければならないのである。(メイヤスー, ”有限性の後で”, 訳: 千葉ら, 2016, p.94)

過去の事象や、”今”ある世界という事実性、つまり現実に起きた/起きていることは、偶然性によって成り立っているということです。

メイヤスー的な考え方になりますが、この世界を形成している事象すべてが次の一瞬で変わることは論理的にはありえます。例えば重力が次の瞬間消えてみな散り散りになったり、あるいは万人の記憶が一瞬にしてなくなることもありえます。

 

加工された記憶はもとより、過去に起きた事象それ自体ですら絶対的なものではありません。いつでも事実性が崩壊するということは考えられます。

これは、亡霊と付き合う中で、それが絶対的ではないと意識できるきっかけになると考えています。